2014年6月20日金曜日

Blog(Blog:ブログ)

復活宣言したのは良いが、平日は仕事で特に書くような事も無く、週末に起こることはFaceBookでその場で投稿しているので、Blogのネタがない、

最近タイに移住もしくは長期滞在している人のBlogを数サイトフォローしている。
パタヤのBlog1サイト、チェンライのBlog3サイト、バンコクのBlog2サイトと言う感じである。
場所ごとに共通点がある。
パタヤのサイトはパタヤに住む私のサイトと同じで、いつ更新されるかさっぱり見当がつかない。全く気まぐれである。
チェンライのサイトは、毎日の更新ではないが、1週間に数回は更新される。
バンコクのサイトは気合が入っている。毎日必ず更新される。

内容は、バンコクの1サイトを除いて、身の回りで起きた事を投稿している。
バンコクの1サイトは、身の回りと言うかアジアで起きている事を記事にしている。

表現の仕方は、それぞれ自分の言葉で表現されていて、投稿者の人柄がうかがえる。
パタヤ、チェンライの方々は独立心がとても強く感じられる。

一時は一世を風靡したBlogであるが、その後出てきたSNSに今は席を譲った感が強い。
更新のリアルタイム性、簡易性、利便性でSNSにどんどん移ってきているのであろう。
私もその一人である。
但しテーマを持ったもの、資料として積みかせねていく物に関しては、Blogが絶対的に有利であろう。

では私の中で今テーマを持ったものや、資料として保存しておきたい内容のものがあるかというと、正直言って思いつかない。
そんな訳で、Blogの題材が無く、Blogが更新されないのである。

まー、あせらず、Blogでなくては書けないネタが出てきたら、書き下ろしていこうと思う。

2014年6月4日水曜日

Tam Maai(タム・マ-イ:仕切りなおし)

先日、Blogの投稿サイトを探していたら、なんと過去に作った自分のBlogサイトが見つかった。
すっかりこの存在を忘れていれた。
新しいサイトを探すのも厄介なので、このサイトで継続しようと思う。
なんと4年ぶりの投稿である。

4年前に、FaceBookをメインに使い始めて、このBlogへの投稿が遠ざかり、忘れ果ててしまったのだと思う。
まるで記憶になかった。

せっかくなので5年~4年前の自分の記事を読み返してみた。
あの当時も政変があって、外出禁止令等同じ事やっていたのだね。
立場が逆転しているだけでやってる事同じと言うのも、成長がない。

自分はと言うと、4年前から仕事も変わらず、BangkokへPattayaからの長距離通勤を続けている。
Pattayaでは、もちろんEastPattayaに住み続け、現在は彼女と2匹の雄犬とで4人の生活である。

彼女の名前はANT(LB)
長男犬の名はKIMUCHI 3歳半のGolden
次男犬の名はSOBA 1歳のBeagle

友人達は相変わらず、5年前からの友人はそのまま仲良く、新しい友人も増えている。

昨日から、Pattaya、Phuket、Samuiは夜間外出禁止令が解除されて、ほっとしたと言う感じ。
終わりを気にしなくていいというのは、本当に安心できる。
上記地域以外の夜間外出禁止令下の皆さん、あと一息がんばって!!

ということで、更新が続くか解らないが、仕切り直しでBlog再開。

2010年8月12日木曜日

AhaanChao2(アハーン・チャオ:朝食2)

EnglishBreakFastの問題点は、新鮮な野菜が無いことである。
タイの飯も意外と新鮮な野菜は少なく、タイ人はフルーツかナームプリックという生の野菜に臭い物をつけて食べてビタミン補給をしている。
心はファラン化したタイ人でも、体は日本人の血が流れている。
生野菜が食いたい。

そこで見つけたのが、Pattaya市内のHotelの朝食である。
外来でも100Baht前後で朝食Buffet食べれるHotelが数件ある。
コーヒー、紅茶、いろんな種類のジュース、サラダ、洋食、中華、タイメシ、デザート
何を食べても、いくら食べても100baht前後である。

それを見つけてからは、週末の昼はHotelのBreakFastに行くことが多い。

現在の時点で3件見つけたが、
(1)PattayaCentralで海に向かい2ndRoadにぶつかる50mくらい手前の左側にあるホテル。
   クーラーが効いている場所とPoolサイド2ヶ所で食べれる。
   レストランのつくりの雰囲気は一番良いが、味はいまいち(コーヒーはOK)、客層がArab
   東欧が多いので人間的な雰囲気が暗い。  
   店員はいい感じ。

(2)LekHotel
   Poolサイドの屋根のあるOpenダイニングとPool脇で食事ができる。
   味はまーまー。マカロニサラダが美味い。
   客層は英語圏のFarangが大半なので、雰囲気は悪くない。遅めに行くと無くなった料理
   が補充されないので注意。
   Pool脇ではタバコが吸えるが屋根が無いので直射日光を浴びて自分がBBQになるので
   注意。

(3)ApexHotel
   コロニアルな雰囲気の屋内ダイニングとPool(めちゃ小さい)サイドのOpenテラスで食事
   ができる。
   味は、かなりGood。というか、500Baht級のBuffetの味である。タイ人向けの洋食味付
   けではなく、ファラン向けの味付けなので、甘くないし、マジに美味い。
   スパゲティー、トマトスープ、チャーハン、野菜炒め、カスタードプディング、コーヒー、何
   をとっても文句なしである。コールスローサラダ、
   デザートのプディングとフルーツポンチは桁違いに美味い。
   客層は英語圏のFarangが大半なので、雰囲気は悪くない。料理はじゃんじゃん
   補充される。

   今のところこの3件がお勧めである。
   但し一番目は雰囲気がいいだけとサラダのドレッシングが美味いだけ。
   どこも朝から13:00までやってるので、昼飯として食うのにいいであろう。
   もちろん私は昼近くにいつも行っている。
  

AhaanChao(アハーン・チャオ:朝食)

私は洋食が好きである。それとコーヒー。
日本にいても米よりパンを好んで食べるし、バターくさい物を好んで食べる。
平日は時間の関係で、タイ飯を食するのが大半であるが、その分週末は洋食を食べる。
と言ってもステーキやスパゲティーとかはあんまりおいしいものが無いので(性格には旨い物もあるがいい値段するし、それだけでは飽きる)、ブレックファーストを休日は食べに行く。
この周辺はEnglandの本拠地なので、EnglishBreakFastを出してくれる店が大半である。
コンチネンタルBFはコーヒー、ジュース、パン、程度なので物足りない。
アメリカンBFはこれに卵とベーコンかハムがつく。
イングリッシュBFはさらにソーセージ、煮豆、焼きトマト、マッシュルームソテー等がつきゴージャスである。場所によってはコーンフレークまで付いてくる。
めちゃくちゃなボリュームである。さすが家庭内食文化のイギリスだなと感心する。
この村ではこのイングリッシュBFが100Baht(270円)程度で食べれる。
しかし、私は朝食は食べない生活である。
それでも、BFが食べれるのは、この村のBFはAll Day BreakFastと呼ばれ、一日中BFが食べれるのである。
よって、夜22:00くらいに夕飯を食べに出かけ「EnglishBreakFast、コーヒーで!!」てなオーダーができちゃうのである。
朝飯を食わないBreakFast好きにはもってこいの場所である。

2010年7月18日日曜日

Chua Khon Yipun Dee Khwaa(チュア・コン・イープン・ディー・クワー:日本人を信じた方がいいな)

 先日BangkokからPattayaへのバスの中で、隣に粋の良いファランのお兄ちゃんが座っていた。
 バスに乗るなり、隣のお姉さんににじり寄って(2人は他人同士)、がんがん話しかけていたので、自分なりのパターンマッチング的にすぐにイタリア系だと分かった。

 眠かったので寝ようとしていたら、彼が私に話しかけてきた。
発音聞いてやっぱイタリア人だと確信した。
彼は初めてのPattayaらしく、どこに何があるか分からない。
どこに行けば楽しめるか教えてくれとのことだった。
とりあえず、初心者が来てすぐ楽しめそうな場所を教えてあげて、そのあと世間話を1時間くらいして、最後にそこの場所への行き方を説明した。と言っても「このバス終点で降りて、そこにソンテウ(トラックを改造した乗り合いバス)にのれば30Bahtでいける」程度である。

 その後私は寝てしまったのだが、終点で気が付くと彼は後ろの席に移動して、タイ人と話をしていたようである。
終点で降りると、彼も一緒に話をしていたタイ人とバスを降りてきた。
タイ人はオートバイタクシーでその場所まで行かせようとしたみたい、オートバイのに所に彼を連れて行った。
しかし、彼はそのタイ人を振り切り、私のところに来て「どのソンテウに乗ればいいか教えてくれ」とイタリア人独特の心配な時の心細い目で私にすがった。
問題ないので、乗り合いソンテウに案内し、値段の確認と、彼をXXXXで降ろしてくれと運転手に頼み、彼をソンテウに乗せた。彼は本当に安心しきった目つきで、私に「グラッチェ」と手を振ってくれた。

なぜタイ人が3倍も掛かり、荷物を山ほど持った彼にすわり心地の悪いオートバイタクシーを薦めたかは不明だが、イタリア人の若者はこの数日でタイ人特有の間違った方向の親切に酷い目にあってきたのであろう。

日本人を信じた方がいいな。そう体が反応したのであろう。

2010年7月4日日曜日

7-11 Tee Singapore(7-11・ティー・シンガポール:シンガポールの7-11)

 少し時間が戻ってしまうが、5月にビジネスビサ取得のために、シンガポールに3日ほど滞在した。
日本とタイでは7-11のポジションは殆ど同じと思ってよい。
つまり殆ど定価で売っていて、24時間便利に使えて、ATMもある便利なところである。
日本では定価と言う言葉を使うがPattayaでは定価のことを7価格と呼んでいる。
つまり、安定した価格なのである。日本と同じである。(勿論たまに安売り品もある)

シンガポ-ルでコーラを買おうと思い、7-11に入った。缶コーラに2$位の値段が付いていた。120円くらいである。日本と同じ価格である。他の物もみんなやけに高い。
あれれ、4年ぶりにシンガポール来たけどこんなに物価上がったの?
7-11を定価の指標と思っている私には7-11のコーラの値段でその国の物価を図る癖が付いている。
なんか急に白けてしまい、コーラは買わずに店を出てしまった。

 どうしても納得がいかず、近くのISETANデパートの中の食品売り場に行ってみた。
コーラが1$位(60円)の値段で売っている。ものすごく納得がいく。シンガポールの物価はそんなところのはずである。
他の物も普通にみんな安い。

思い起こすと、シンガポールで何箇所か7-11を覗いたが、どの店も全然客が居ない。
これで納得である。シンガポールの7-11はシンガポール経済と何のリンクも取っていないかなり駄目な組織のようである。
しかし、なんでこんなこと本部が許してるのか見当が付かない。
本部がこんな事許すはずはないと思うのであるが。

それとも実は私が見たのは7-11ではなくて7-ll(セブンーエルエル)だったのかな?

ミステリアス・シンガポールである

Mai Pliean Loko Dee(マイ・プリィアン・ロコ・ディー:変わらないから良い)

ここの村に尋ねてきてくれる人の多くが、ここを大変好きになってくれる。
特に数日過ごした人は、リピートしてくれる人が大変多い。

ふと昨日その理由をオートバイを運転中に気が付いたので、忘れないうちに書き下ろしておこう。

マイミクのアルカスさん夫妻が昨年1週間くらい遊びに来てくれて、私の家で一緒に過ごした。
また、タイバカのLogでも紹介したAlさんも奥さんと子供を連れて毎日のようにこの村を訪ねてくれた。
それにBangkokでは連日ディスコ狂いの26歳のタイ人の妹もPattayaに来るとこの村を出ない。

2人の奥さん+妹の意見がまるっきり同じなので、私は以前びっくりしたことがある。
3人ともこの村が懐かしさを持っていてとても居心地が良いと言う。

オートバイで野菜やアイスクリームを売りに来たり、バーミー(タイラーメン)や物干し竿も売りに来る。それぞれに決まり文句やテーマソングがあるので、なれると何を売りに来たのか声を聞くだけで解る。

お互いの国(日本と韓国とタイ)は違っても、同じ懐かしさを(経験)をここの村で共有できている。
逆に言うと、日本も韓国もBangkokも昔はこの状況が存在していたが、今はこの状況が無くなってしまっていると言う事である。そしてその状況が良かったということである。
だから懐かしいと言う言葉が繰り返されるわけである。

じゃー、日本も韓国もBangkokも変わってしまったのに、なんでここは変わらないのかと言うのがいつも頭の片隅に有った事である。昨日夕方の薄暗い中、オートバイを運転中に、前のバイクが赤色等もブレーキランプも電気と言う電気が全て壊れていて、その存在に気が付かず、危うくカマを掘りそうになった。後ろに座っていた彼女に「何で電気壊れてるのに直さないんだろう?危ないよな」と問いかけたところ「古いからしょうがないでしょ」とカウンターを返された。
日本では古いからと言う理由で公道を走る交通機関の整備不良は絶対に許されないのであるが、ここは違うと言うのである。ボロボロの車が走っていることは昔から知っていたが(誰でも知ってる)、なんでそれを代えないかということを深く考えたことが無かった。
単にお金が無いだけとしか理解していなかったのである。
でもそれだけの理由ではないことに気が付いた。
古いものはその機能の一部を失うが、使える機能があるうちは使い続けることが前提なのである。
つまり、古いからとか不便だからと言う理由で、ここでは物が代わる事は無いのである。
物はかならず古くなっていく、古くなれば一部の機能が失われることもある、でもそんなことは当たり前なんだから、気にすることないし、古くなったものを否定する理由は何処にも無いでしょう。という意味が「古いからしょうがないでしょ」と言う言葉の中に凝縮されていた気がする。
もっと解釈すると、事実が絶対と言うことである。

よって、懐かしいものが今でもいっぱいここには残っているのであろう。

アルカスさんの奥さん、ALの奥さん、この「懐かしさ」に関する考察はどうでしょうね?